週刊SleepNel新聞

SleepNel所属のぽうひろが日々の個人開発で気になったことを綴ります。

私がアプリ開発者になった経緯を振り返る 〜ぽうひろ編〜

みなさん、こんばんは。ぽうひろです。

今日は、巷で流行っている、「私がアプリ開発者になった経緯」を振り返ります。

もう劇的な人生を送られている方々がいっぱいでしたので、普通の人生を書くのもどうかなと思ったのですが、
普通のも読んでみたいという方もいらっしゃったので、頑張って書いてみます。

・すべての始まり小・中学生時代
私のゲーム歴史すべての始まりだと言っても過言ではない小学校時代。
確か小学1年生の時にファミリーコンピュータが発売されました。
当時は近所のデパートのおもちゃ売り場にファミコンがプレイできる状態で置いてあり、
友人と並んで何回もプレイしていました。
ゲームはそう「ベースボール」です。基本的に守備は投げる以外はオートだったため、
取れそうなボールも取れない守備にやきもきしながら友人と20-18みたいなアホなスコアになるまでやり通していました。
ファミコンは本当に楽しかった。ドラクエ3もお父さんに並んでもらって買ってもらえました。
アリアハンから旅立つ瞬間、ワクワクが止まらなかった。
小学校高学年でFF4が出ましたね。綺麗なゲーム画面と暗黒騎士のドラマに心が震えました。
その頃の将来の夢は「ゲームデザイナー」になりました。
けれど、ファミリーベーシックもなんじゃこりゃって感じでしたし、具体的にどうやってなるのかは全然わかっていませんでした。
体が弱かった私は水泳や剣道など、いろんなスポーツをやらされましたが、その中で
サッカーは性に合っていたようです。クラブ活動もずっと続けることができ、以後、小中高大学、社会人になっても続くのでした・・・

・高校生時代
勉強はめっちゃ嫌いだったんですが、小学校の時に少し成績が良かったため、塾に行くと言ってしまったのが運の尽き。
中学受験は落ちたのですが、高校受験で補欠でそこそこ偏差値の高い高校に合格してしまいました。
男子校です。
部活はサッカーで楽しかったのですが、進学校なのに勉強はほとんどしなかったですね。
大学受験も失敗し、1年浪人することになります。
高校2年だか3年の時に、我が家にNEC製のPC9821がやってきます。
パソコン通信Nifty-Serveが楽しすぎて、弟とテレホーダイの時間になると回線の取り合いが始まります。
こんなんで勉強するわけもないですねw
けど、これのおかげで「パソコンを使った仕事がしたいな」と思うようになりました。
数学の点数は赤点でしたが、なぜか理系を希望し、一浪してそこそこの大学の理工学部へ通うこととなります。
ちなみに私のハンドルネーム「ぽうひろ」ですが、このパソコン通信のハンドル名から来ています。
ニュースで「ぽうたろう」という犬が出ていて、最初それをかわいいなと思って使っておりました。
途中から「ぽー」になり、メールアドレスとかを取る時にpouは普通に取られていて使えなかったので、
自分の名前「ひろし」からとって「ぽうひろ」となりました。
はい、たまに聞かれるのでやっと説明出来ましたw


・大学時代
理工学部でしたが、電気電子工学科という、どちらかというと電機系・回路系の学科に入りました。
かろうじてCやFortranの授業がありましたので受講しましたが、これまたさっぱりわかりません。
大学のパソコン室でホームページを作るのにハマってました。
cgiを使った掲示板も全盛期でしたね。バイト先の友人と交換日記の掲示板を作って遊んでました。
ゲームを作ったりはしてませんでした。

・社会人時代ファーストステージ サラリーマン編
そんなこんなで就職活動。あがり症で面接が大の苦手の私。何十社も受けるのが普通とされていた時代でしたが、
5社くらいがやっとでしたかね。まともに面接まで行ったのは2,3社くらいだったかも。
受からなくて(そもそも少ないけど)絶望していたところ、母親に言われた言葉が今も心に残っています。
「就職しなくても死なないから大丈夫よ」
この言葉には今でも救われることがあります。
ですが、とあるSIの会社に引っかかります。僕のシステムエンジニアのキャリアが始まりました。
200人月が1年くらい続くような大きなWebシステムのプロジェクトのブラウザ挙動テスターで最初はスタートしました。
Netscapeの挙動がめちゃくちゃだった。懐かしいなネスケ
なんか色々めちゃくちゃで、会社に来るのが11時。終わりは23時。バイク通勤してたような気がします。
なんだこれは。
3年目くらいで絶望して、もうやめようと思って会社を飛び出したのですが、同期の友人に引きとめられたのを覚えています。
その友人は僕より先にやめましたけどw
けれどプログラムの師匠ともいうべき先輩とも出会え、プログラムをすることはとても楽しいと思うようになりました。
そんな先輩とも別プロジェクトになり、僕は客先常駐といういわば身売りのような状態で5年ほど過ごすことになります。
ずっとプログラムができることは幸せでしたが、会社に所属している意味がわからなくなっていきました。

結婚し、子供も産まれた10年目。
いつもと同じお客さん。いつもと変わらない採用技術。いつ終わるともわからない保守作業。

時間が停滞したような感覚。

死にに行くように会社に行く毎日。

僕は会社を辞めることにしました。

・社会人セカンドステージ フリーランス
同じようなシステム開発をする会社に転職するという選択肢はあまりありませんでした。
かといって、他に何かできるかというとそれもありませんでした。
とあるフリーランスを集めて仕事を斡旋してくれるエージェントをWebで発見し、相談に行ってみました。
2社くらいいきましたかね。月収は60万ちょっとが提示されてた気がします。
サラリーマンの時は月収が30万ちょっとだったので、「何この毎月がボーナスみたいなのは!」と色めき立ちましたが、フリーランスは2倍稼いでやっとトントンという知識もなかったので、今はああそうかって感じです。
見通しも立ったので退職手続きを進めました。有給消化もできず、崩壊寸前のプロジェクトに最後の奉公でぶっこまれ悲しい思いをしました。退職金も100万円くらいでしたかね。
しかも個人企業年金のまま渡されたので使えません。まさに無一文状態でフリーランスに放り出されることになります。
この仕打ちは今でも会社と言うものに対する嫌悪感の要因にもなっています。

フリーランスになってからというものの、紹介していただいた会社がとても金払いがいいというか、悪く言えば放任というか、とにかく残業キツキツなわけでもなく、業務委託にも優しくしてくれる会社で、とても居心地が良かったです。
5年早くやってれば良かったと思いましたが、まぁタイミング次第ではわからないですよね。
運が良かったと思います。
そんなこんなで今は社員さんが紹介してくれた子会社で直契約でやらせていただいています。
かなりハッピー。

余裕も出てきた頃に、個人でゲームを作って稼げるらしいというのを聞き、そこから私のゲーム開発がスタートしました。
最初はcocos2dxを使って、ひらがなを当てる「ひらあて!」をリリース。
Unityはその次から使い始め、あまりの簡単さに惚れ込み、以降はずっとUnityで開発しています。
累計DL数は1万もいっていません。
正直みなさんの華々しいDL数を見て、とても羨ましいし悔しいと思っています。


・社会人サードステージ 現在の私編
とても居心地の良いところですが、最近はもやもやしております。
来年はもう40歳です。
主に既存システムの改修やら、管理機能の改修やらをやっていましたが、いろいろな便利ツールが出てきており
あまり手を動かす必要がなくなってきたなというのが実感としてあります。
あと、その会社は広告代理店なんですよね、やってることが。
実は自分は広告とか本当に興味がなくて、何かサービスだったりアプリを作って売るってことに興味があるんです。
なので、この先10年、20年考えると、ちょっと視点を変えたほうがいいなあと思っているところです。
とはいえ、こども3人、ローン持ち。なかなかズバッとアプリ開発に専念するわけにもいきません。
いいバランスとタイミングを見計らいながら、何とか方針転換していければと思います。

みなさんのアプリ開発者になった経緯を読ませていただくと、とても薄っぺらくて特に面白味もないものになってしまいますが、こんなところです。

来年はちょっと結果(収益)にこだわろうかなと思っています。
自分のゲームを面白いと言ってくれる少数にでも届けばいいと甘っちょろいことを言っておりましたが、
この自由な環境を今後も続けていくには、やはり自分の作ったものを売るしかない。
売れる努力をしなければいけない。

そんなことを思う大晦日なのでした。

あまり手直しせず、殴り書きになってしまったので、読みにくくて申し訳ありません。

来年もみなさん、こんな私をどうぞよろしくお願いいたします。

家族優先にはなりますが、頑張っていきたいと思います。

それでは良いお年を!

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